「行ってから踏ん張んべ」 (4)

アメリカ到着直後、お世話になるはずだったホストファミリーから「屋根裏しか用意していなかった、もう他に部屋はない」と言われ、交渉の余地はなし。「不満があるなら他のファミリーを探す」以外なくなってしまった渡米後三日目の朝

とりあえず友達リン君の運転で「滞在先変更」の旨を短大のアドバイザーへの報告をしに、学校キャンパスに初めて立ち寄る。

道中、周りを見回すとやっぱり何もかもが「とりあえず初めて」で、とりあえず何もかもに「すげぇ」とか「デカッ」という反応しかしていなかった記憶があります。基本最初の一週間はこんな反応ばかりでしたね。

何が凄いのかって、視界に存在する物すべての大きさ。

普通の道路で両側2~3車線は当たり前だし、立ち並ぶ一戸建ての庭は「公園ですか?」と聞きたくなるくらい広大。学校周辺には高層ビルがないから空も大きい。

さらにこの頃のアメリカのマクドナルドは「Supersize」というキャンペーン中。何かを注文する度に「Supersizeにしますか?」と聞かれたものです。

これを頼むと「バケツですか?」という大きさの容器にジュース飲み放題だし、「これでもか」という量のポテトがドサァッと手元を覆いつくす。

この「Supersizeにしますか?」という質問を聞き取れず「イエスイエス」と受け流した結果、約2リットルのジュースと、トレーいっぱいに「公園の砂場の山」のような量のポテトが「デン」とそびえ立ってしまった。

「そりゃ人間のサイズも大きくなるはずだわ」と妙に納得。

話が飛びますが、大きいと言えば、アメリカの「歯ブラシ」。アメリカ住むようになって何年か経つ今でも、その「大き過ぎる」サイズに見入ってしまう…

シアトル市街の若干ブルジョワな地域・べラビュー(Bellevue)にあるリンのアパートに一週間ほど楽しく開放的に居候後、学校を通じて新たなホストファミリーに出会う。無事入居に至った今回は、留学生の受け入れ経験が豊富な小学校教師のお宅。部屋は小奇麗で、料理も比較的まとも。

「いよいよ、始まるかぁ~」と実感が湧いたところで、「学校に行く練習」を開始。まるで小学生の集団登校のような響きですが、一度予行しないと移動時間も計算できない、という理由でとりあえず家から学校まで歩いてみることに。

辞書で調べながらメモ帳に「一度学校への道を確認したい」という文章を書き、緊張しながら必死の思いで「練習」の旨を伝える。「たつやは運転しないし、一度車で連れて行ってあげるから、その道をよく覚えておきなさい」とホストファミリー(ひたすらうなずきながら、たぶんこう言ってたという記憶しかないが)。

実際、家の路地から一本大通りに出て、延々まっすぐを10分進むだけの全然簡単な道のり。「こりゃ、練習なんていらないや」となめてたら、実際は一生懸命歩き続けても片道40分の距離。

「この辺は雨も多いはずだし」といざという時のバス通学を試しても、車内は(強い香水と体臭が混ざった感じの)臭いだし、ルートが遠回りだから片道20分だし。

ふむ。

考えても距離が縮まるわけではないので、「せめて音楽でも聴きながら通うか」と近所のKmartでラジオを購入。曲間に何を言っているのか分からないが、「今こっちで流行ってる音楽をチェックできるのは素晴らしい」と感動。

このラジオにはこの後相当お世話になりました。今思えば、僕のラジオ番組好きはここから始まったのかも。

そうこうしている内に、渡米後、早くも二週間ほどが経過。学校初日まで残り10日間ほど。

学校に向けての準備を着々と進めながら、気が付くと何となく生活に慣れる自分がいる。ただ、心のゆとりが生まれた途端に「さて、どうやって英語を勉強するか」を悩み始める。

この時点で何が一番辛いって、(ホストファーザーは小学校教師らしく丁寧にゆっくり受け答えてくれるが)まだ周りに流れる英語が「ブラ~」としか聞こえない。

この「限りなくゼロに近い」リスニング、どうしたものか。

単語を聞き取れていないのか、はたまた語彙が少な過ぎて耳を通り過ぎてしまうのか、単純に周囲が早く喋っているのか。

ただ悩む時間すらももったいないのが現実。「これは聞いてなんぼだしな」と日本の日曜版の新聞広告にありそうな「聞き流し」でとりあえず耳を慣らすことに。

移動(徒歩)中や睡眠中(マジで必死でした)は必ずラジオを流しまくり、普段は辞書を片手にテレビの前に座る。英語ネイティブスピーカーの口の動きが、日本語の口の動きと異なることに気付くと、今度はドラマからニュースから内容不問でひたすら「口の動き」を観てました。

「少しずつ耳が慣れてくるんだけど、突然『あ、英語聞き取れる』という瞬間が訪れる」。15歳で単身渡英した姉の経験がどうか自分にも起きてくれますように。これだけを必死に目指していました。

浴びるほど英語を聞いて、その中から聞き分けられた単語を一つ一つ辞書で調べては、裏紙(貧乏臭いんすが、苦笑)にちょろちょろとスペルを描いては次の単語に移る。

苦し紛れに、音読も開始。ホストファーザーから古新聞や広告をもらっては、その日の内容をひたすら自室でコソコソと声に出して読む。記事ごとに「ダ~ッ」と読み倒す。

同時に(テレビやラジオで聞く英語を基に分かる範囲で)「なんとなく」でも英語らしい流れと、発音に心がける。自室でやっていた「眠気覚まし」の腕立て、腹筋のカウントはもちろん百まで英語。

マサさんの記事にもありましたが、言語問わず、やっぱちゃんとした言葉使いは大切です。やるからには「ちゃんとした英語」というものになるべく近付きたい。その思いだけでした。

買い物やホストファーザーへ質問する時も、一度全文を紙一面に(英会話教則本の内容を丸写しでしたが)セリフを書いて音読して練習してから実行していました。

少し経つと、「『R』で舌を巻き過ぎないほうが音が近いな」とか、「下手に発音を意識し過ぎるよりは所謂カタカナ発音のほうが通じるな」とか、なんとなく勘が良くなってくる。

当時「シャドウイング」なんて言葉すら知りませんでしたが、「ラジオを聴きながら、聞き取れた会話内容をすぐ反復する」など自分なりに「独り言+α」でどんどん音に出していました。

何せホストファミリーは仕事が忙しいからあまり相手してくれないし(相手してくれても、まだ緊張するし)、もちろん友達はいない。
勝手に「劇団ひとり」をしながら妄想の世界で英会話を組み立てて、ひたすら自己流英会話の練習をしていました。

本当にあの頃は若いし必死だし、ほぼ眠らずにこんな生活を繰り返してましたね(確か昼寝を含めて睡眠3時間とか4時間とか設定していた記憶がある)。「本当にこれでいいのかな」なんて疲れを感じるたびに緊張してました。

ただ、人間てどんな環境にも慣れるもんです。

普段の生活では、なんとなく困る場面が少なくなってきた実感が生まれだした渡米後一ヶ月。1月17日。起床後、いつものようにテレビを点けると、興奮で声が裏返った日本語のリポートが耳に飛び込む。振り返った先のブラウン管いっぱいに映っていたのは、まだ煙と火に包まれ、変わり果てた神戸での「阪神淡路大震災」風景でした。

つづく 

「行ってから踏ん張んべ」 (4)” への2件のフィードバック

  1. でましたsupersize~ バケツといって全く過言ではないでしょう。
    恐ろしい国に来てしまったと思いました。。。
    わたしもラジオは必須アイテムでしたねー。もう、無理矢理聞いてました(笑)テレビも最初はCMと番組の違いもわからんかったし。
    1年後には聞き取れるなんて思ってもなかったなー
    たっちゃん、阪神の地震の時に海外におったんですねー。3.11ときもアメリカかー、海外で日本の災害を知るのもまた違った意味で心が痛みそう。

  2. あ、りょ~ちゃん、またコメントありがと。
    確かにCMと番組の差は分からんかったな。やっぱ一年は必要よね、落ち着いた生活を送り始めるには。半年間の留学する人いるけど、「やっと調子が上がってきた」みたいな時期に帰るなんて結構つらいだろうな…

    3.11のときは、リアルに発生数分前に母と電話してて、切った直後にネットで「地震発生」の報が流れて、急いで電話をかけ直したら通じなかった経験をしました。その後約3日間は通じなかったね、関東でも。びっくりしましたわ。

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