小学生が1人で歩くと通報される?アメリカの「送迎文化」と親の心配度

こんにちは、Masaです。

 

皆さん、日本のテレビ番組で『はじめてのおつかい』ってありますよね。小さな子が1人で買い物に行く姿に、見守る大人がハラハラしながらも最後は感動する、あの国民的番組です。

 

でも、これをそのままアメリカでやったらどうなるか。

 

地域や状況によっては、感動のラストシーンの前に、警察や児童保護サービス(CPS)が介入して、親がネグレクトを疑われることさえあるんですよね。日本の感覚で見ると「そこまで?」と思うんですが、ここがアメリカの子どもの安全意識の大きな違いなんです。

 

今日は、日本とアメリカで決定的に違う「子どもの安全意識と送迎文化」についてお話ししたいと思います。

 

「一人歩き」は通報対象?

以前、メリーランド州でこんな出来事がありました。10歳と6歳の兄弟が、公園から自宅まで約1.6キロの距離を2人で歩いて帰っていたんです。すると、それを見かけた近所の人が警察に通報して、子どもたちは警察に保護されて、親は児童保護サービス(CPS)の調査を受けることになったんです。

 

日本では「えっ、10歳なら普通じゃない?」と思う距離ですよね。でもアメリカでは、子どもを1人、あるいは子ども同士だけで公共の場に置くことが、地域や状況によっては大きなリスクと受け止められるんです。

 

州法や地域運用によって、子どもの単独行動にかなり厳しい扱いをするところもありますし、法律の前に、まず周囲の目が日本よりずっと厳しいんですよ。

 

「イエローバス」か「カーライダー」か

そんな社会背景もあって、アメリカの学校生活は「送迎」が本当に大きなテーマです。

 

朝の小学校の校門前を想像してみてください。そこにあるのは、日本のような元気な通学路というより、延々と続く車の列です。

 

アメリカの通学手段は大きく分けて3つ。

 

  1. 黄色いスクールバス(イエローバス)
  2. 親の車(カーライダー)
  3. 徒歩(近距離ではあるものの、割合としては多くありません)

 

中でも「カーライダー(Car Rider)」と呼ばれる、親が車で送り迎えする家庭は本当によく見かけます。私の近所でも、朝の7時半ごろには学校周辺が巨大な駐車場のような渋滞になります。親たちは仕事の前にこの列に並んで、我が子が安全に建物に入るのを確認してから、ようやく自分の職場へ向かうわけです。

 

日本から来たばかりの人がこれを見ると、たぶんかなり驚くと思います。

 

「え、みんなここまでやるの?」って。

 

でも、アメリカではこれが特別な光景というより、かなり普通の朝なんですよね。

なぜそこまで心配するのか?

なぜアメリカの親たちは、これほどまでに徹底して送迎するのか。

 

私は大きく3つあると思っています。

 

一つは、やはり「治安」への不安です。

もちろんアメリカ全部が同じではないです。でも、日本と比べると、親の頭の中に「万が一」が入り込みやすい社会だと感じます。

 

二つ目は「車社会」です。

歩道が整備されていない場所もありますし、交通量が多くて、場所によっては子どもが一人で歩くにはかなり危険だと感じるところもあります。

 

そして三つ目が、アメリカらしい「責任」の感覚です。

もし子どもが一人で歩いていて事故やトラブルに巻き込まれたら、親の監督責任が問われる可能性があります。周囲の人も「何かあったら大変だ」と考えて通報することがあります。その結果として、早めに通報されやすい空気を感じることがあるんですね。

日本の「信頼」と、アメリカの「自己責任」

 

こうして見ると、日本がいかに「社会全体への高い信頼」で成り立っているかがよく分かります。

 

「近所の大人が誰か見ていてくれるだろう」
「ドライバーも子どもには注意してくれるだろう」

 

そういう暗黙の了解が、日本にはまだかなり残っていると思います。これは、かなり珍しい安心感のある文化だと思います。

 

一方でアメリカは、「自分の身、そして家族の安全は自分で守る」という感覚が強い社会です。親の心配度が高いというより、そうせざるを得ない社会構造がある、と言った方が近いかもしれませんね。

 

私の子どもたちが小さかった頃も、やはり毎日車で送迎をしていました。それも自分たちが車を運転できるようになるまで。

 

当時は「日本なら一人で行けるのに、面倒だなあ」なんてボヤいたこともありましたが、今思えば、あの車内での10分、15分が、子どもたちの学校での出来事を聞ける貴重な親子の時間だったようにも思うんですよね。子供との距離が近いというか。

 

今は孫たちがアメリカで元気に育っていますが、やっぱり親である私の子どもたちは毎日必死に送迎しています。時代が変わっても、この「子どもの安全第一」という空気感は、アメリカでは今もかなり根強く残っています。

 

不便なのですが、それもまたアメリカ生活の一部。

 

「郷に入っては郷に従え」で、この送迎文化も含めて、少し余裕を持って付き合っていくのがいいのかもしれませんね。

 

Masaでした。 

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2 comments on “小学生が1人で歩くと通報される?アメリカの「送迎文化」と親の心配度”

  1. いつも楽しく読ませてもらっています。
    「社会全体への高い信頼」ですが、逆に言うと「市民どうしの監視社会」ともいえるのではないでしょうか。子供のころから「周りに迷惑をかけないように」といわれて育ってきますが、言い換えると「周りと同じように行動しなさい」ということだと思います。
    つまり。「周りと違うことをしないように」ということですね。
    なので、日本では、自分がこれを行いたいから行うではなく、常に周りを見て行動の判断をしているわけです。そうすると、自然とお互いにお互いを見て「あの人は違うことをしている」ということを意識するわけです。ですので、市民同士の監視ということもあり、違うことをするつまり「犯罪」も自然と行える雰囲気は少なくなります。
    そういう面ではメリットですが、逆に言うと自分のやりたいように行動するということができなくなり、息苦しい社会となっていくわけです。
    犯罪が少ないというのは良いことです。一方で自由な社会というのも素晴らしいことです。
    どちらを取るということではないですが、アメリカと日本では前者と後者のバランスが違うということでしょうか。

  2. Saitoさん、コメントありがとうございます!

    「市民同士の監視社会」という言葉、ハッとさせられました。まさに仰る通りですね。

    日本での「周りに迷惑をかけないように」という教えは、裏を返せば「周りの目から外れないように」という無言のプレッシャーでもありますよね。私自身、日本にいた頃は「ここではこれをしちゃいけないかな?」と、常に周囲の温度を測りながら行動していた気がします。

    あの「安心感」は、実はお互いにルールを逸脱しないか見守り(あるいは見張り)合っているという、ある種の「コスト」を払うことで成立していると思うんですよね。そのコストが、ご指摘の通り「息苦しさ」として跳ね返ってくるわけです。

    一方でアメリカは、仰る通り「自由」の比重が非常に高いです。

    でも、その自由を享受するためには、今度は「自分の身は自分で守る」という、また別の重い「自己責任」というコストを払わなきゃいけない。

    日本: 「自由」を少し削って、「安心」をみんなで分け合う。

    アメリカ: 「自由」を最大化する代わりに、「安心」は自分で買い取る(送迎の手間や防犯など)。

    どちらが正解というわけではなく、社会がどこにバランスの支点を置いているかの違いなんでしょうね。

    アメリカで毎日必死に子供を送迎している親たちを見ていると、「自由を謳歌するのも、なかなか体力がいるなあ」なんて苦笑いしてしまうこともあります。

    でも、そんな違いを面白がりながら、それぞれの良いところを見つけていければいいと思うんですよね。

    これからも、そんな日米のリアルな空気感を伝えていければと思います。またぜひ、鋭いツッコミお待ちしています!

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