「派手な失敗」より怖い—アメリカの日系企業が静かに弱っていく本当の理由

こんにちは、Masaです。

 

アメリカで仕事をしていると、ときどき「これはちょっとまずいな」と感じる場面があります。特に、会社が大きな変化や危機に直面したときです。

 

もちろん、日系企業が全部そうだと言うつもりはありません。ただ、アメリカで事業をしている日系企業の中には、いざという時の動きがどうしても重く見えるケースがあるんですよね。しかもその重さは、現場の担当者がサボっているとか、個人の能力が低いとか、そういう単純な話ではないことが多い。むしろ、組織の構造としてそうなってしまっているように見えるんです。

 

まず大きいのは、現地トップの決断の難しさです。アメリカ法人のトップを50代くらいの駐在員が務めているケースは珍しくありません。経験もあるし、真面目で優秀な方も多いです。ただ、危機的な場面で、その場で腹をくくって決められるかというと、そこが難しい。仮に本人が状況を正しく読めていたとしても、日本の本社を説得して動かすところで時間がかかるんです。

 

ここがアメリカのビジネス環境ではかなり痛い。アメリカでは、初動の速さが本当に重視されます。危ないと見たら、すぐに人を入れ替える、外から即戦力を連れてくる、新しい商売の芽があるならそこに賭ける。そのために高い報酬が必要なら、それも含めて判断する。きれいごとではなく、「今ここで動かなければ負ける」という感覚があるんですね。

 

一方で、日系企業の中には、「今いる人を教育して育てよう」とか、「新しい製品開発に備えて準備しよう」といった発想に寄りやすいところがあります。平時ならそれでいいんです。むしろ日本企業の強みは、そういう粘り強い育成や積み上げにあると思います。でも、危機の最中にそれをやると、どうしても悠長に見えてしまう。火事が起きているのに、消火器の使い方研修から始めるような、そんなちぐはぐさを感じることがあるんです。

 

しかも厄介なのは、現地では危ないとわかっていても、その危機感が日本本社まで同じ温度で伝わっていないことです。現場は「今すぐ予算をつけて、人を入れて、体制を変えないとまずい」と思っている。でも本社側は「そこまで深刻なのか」「もう少し様子を見てもいいのでは」と受け止める。そうすると、必要な予算申請すら通らない。現場は分かっているのに動けないという、一番つらい状態になります。

 

ここで見落としがちなのは、時間そのものがコストだということです。日本本社の会議で一週間、二週間と議論している間に、アメリカの競合は次の一手を打っています。市場は待ってくれません。お客さんも待ってくれません。社内では慎重に検討しているつもりでも、外から見ると「何もしていない」のとあまり変わらない、ということが実際には起きるんですね。

 

人の問題も見逃せません。アメリカで採用をすると、自己アピールが上手な人は本当に上手です。面接だけを見ていると、すごく優秀に見える。でも、入れてみたら思ったほどではなかった、ということは普通に起こり得ます。

 

ここで日系企業が苦しくなりやすいのは、その次です。アメリカ企業なら、合わないと判断したら比較的早く見切りをつけます。冷たいようですが、そのぶん組織全体のスピードは保たれる。でも日系企業では、そこがとても重い。人を切るのが下手というより、切るところまで組織として意思決定できないんですね。

 

その結果、実力が足りない人を抱えたまま、優秀な人にしわ寄せがいく。本人も周囲も苦しいのに、なかなか整理できない。お金も時間も余計にかかるし、現場の空気も悪くなる。表面上はなんとなく回っているように見えても、中ではじわじわ体力が削られていく。これはかなり怖いです。

 

しかも、こういう状態が続くと、優秀な人ほど先に疲れていきます。現場で危機感を持っている人ほど、「このままではまずい」と感じるわけですから、その声が通らない組織にだんだん希望を持てなくなるんです。残るのは、変化に鈍感な人か、我慢できる人ばかりになる。そうなると、さらに意思決定は遅くなり、組織はもっと内向きになります。

 

こういうことが積み重なると、会社は負のスパイラルに入りやすくなります。判断が遅れる。採用で外す。入れ替えも遅れる。そうすると業績も悪くなるし、現場の空気も重くなる。危機対応というより、危機を長引かせる構造そのものができてしまうんです。

 

私自身、昔アメリカのベンチャー企業で、失業と隣り合わせみたいな空気の中で働いたことがあります。あの環境は厳しかったし、安心感なんてほとんどありませんでした。でも、少なくとも「まず動く」という緊張感はありました。そこは今でも、アメリカの強さの一つだと思っています。

 

だからこそ、今の日系企業のぬるま湯のように見える体質には、歯がゆさを感じるんですよね。もしかすると、こういうことを言う私は、その会社では少しウザい存在だったのかもしれません。でも、黙っていたらもっとまずい方向に行く気がするんです。

 

大事なのは、日本のやり方を全部捨てろという話ではありません。日系企業には、丁寧さや粘り強さ、品質へのこだわり、長期で人を育てる強さがあります。ただ、危機のときだけは、その強みが裏目に出ることがある。だからこそ、何を守って、どこを変えるのかを、もっとはっきり決めないといけないんだと思います。

 

たとえば、平時は日本式の丁寧さを活かす。でも危機時だけは、現地トップにもっと権限を持たせる。採用も、面接の印象だけでなく、短期間で実力を見極める仕組みにする。合わない人を抱え続けない覚悟も持つ。そういう切り替えができるかどうかで、アメリカでの生き残り方はかなり変わってくるはずです。

 

アメリカで事業をする以上、現地のスピード感、実力主義、そして厳しい人材評価の現実から逃げることはできません。そこに適応しないままでは、会社は派手に壊れなくても、静かに弱っていきます。

 

派手な失敗より、じわじわ進む判断の遅れのほうが、あとで効く。

 

私は最近、そんなことをよく考えています。

 

Masaでした。 

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2 comments on “「派手な失敗」より怖い—アメリカの日系企業が静かに弱っていく本当の理由”

  1. 日本の経済の停滞は決定の遅さが大きいと思います。
    特に最近は、少子高齢化 × 儒教的秩序観 → 年長者・既存組織の発言力が強くなる → 合意形成が重くなる → 決定が遅くなるという流れがあるのではないでしょうか。
    ちょっとまとめてみました。

    1. 少子高齢化が「変えない力」を強める
    少子高齢化が進むと、社会の中心が若年層ではなく中高年・高齢層になります。
    すると、
    既存制度を守りたい人が増える
    変化による損失を恐れる人が増える
    新しい産業・制度より、年金・医療・雇用維持が優先される
    若い世代の声が相対的に小さくなる
    つまり、社会全体がリスク回避的になります。

    2. 儒教的秩序観が「年長者優先」を正当化する
    儒教的な価値観では、
    年長者を尊重する
    序列を重んじる
    上司に逆らいにくい
    和を乱さない
    露骨な対立を避ける
    という傾向が強くなります。
    そのため、若い人や現場の人が「これは変えた方がよい」と思っても、上位者・年長者・既存部署を説得しないと動きにくい。

    3. 両者が結びつくと、決定がさらに遅くなる
    少子高齢化だけなら「高齢者が多い社会」です。
    儒教的秩序だけなら「序列を重んじる文化」です。
    しかし両方が重なると、
    人数の多い高齢層が、文化的にも尊重される
    という構造になります。
    その結果、
    若者の提案が通りにくい
    上司の承認が必要になる
    関係者全員に根回しする
    反対者を残したまま進めにくい
    失敗した時の責任を誰も取りたがらない
    という形で、意思決定が遅くなります。

    短く言えば、
    少子高齢化が「変化を望まない多数」を作り、儒教的秩序が「その多数と年長者に逆らいにくい空気」を作るため、日本では大胆な決定が遅れやすい、ということです。

  2. Saitoさん、いつもコメントありがとうございます!

    少子高齢化と儒教的秩序観の掛け合わせ、めちゃくちゃわかりやすい整理ですね。

    私のアメリカでの実体験から見ても、まさにその「変えない力」と「逆らいにくい空気」が、いざという時の初動の遅れに直結しているんですよね。現場としては「今すぐやらないと!」と焦るんですが、その重い空気の壁にぶつかってしまうんですよね。

    日本の文化や組織の仕組みを急に変えるのは難しいですが、せめて自分たちの目の前のことだけは、状況を見てサクッと動けるようにしておきたいですよね。

    焦らず、でも動きは軽快に。Take it easyでいきましょう!またブログに遊びに来てくださいね。

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