すでにご存知の方も多いと思いますが...
Holly Crap!!!
米国為替市場、最大の下げ幅。777ドル安。
あの911翌日の下げ幅よりもさらに大きい。
ブッシュ政権の提案を下院が否決したのが原因。
国民の負担を心配しての否決だったようですが...。国民の負担額と、景気悪化で株価大暴落と、天秤にかけてみてどちらが国民に対しての影響が大きいのかをよく考える必要がありそうです。
うちの会社の株かも2ドル近く下がりました。先日の我々のビジネスユニットのAll Hands Meetingでは、「全然問題ない。レイオフもありえない!」とシニアVPが言い切っていましたが、世の中の状況がこのように急速に冷え込んでくると、事情が変わってくるのではないでしょうか...。
じっくりと観察するしかなさそうです。
カテゴリー: アメリカ生活
Oh My Gosh!
お隣さん
今日は、うちのお隣さんをご紹介します。この方です。
かわいい方ですよね?
このところ毎日のように、うちのバックヤードに無断で入ってくるんですよ。で、勝手にうちの所有物に手を出して、このように楽しんでいらっしゃいます。
よく見てください。彼(彼女?)は今、梨を食べていらっしゃる。どうも、彼の食卓は決まっているようなんですよ。必ずあそこに座っていらっしゃいます。
もう、うちの梨の季節も終わり、次は柿の季節になります。今年の柿はかなり粒が大きくて、おいしそうです。ちなみに種無し。
すでに、彼が味見を始めたようで、ところどころにかじった跡のある柿が見られます。
ま、動物さんたちとはうまく共存していかなければなりませんから、「シッシ」と追い払うようなことはしないようにしましょう。
Poway(パウェイ)パレード
毎年恒例のPowayパレードが今年も行われました。
このPoway City、もともとサンディエゴ市だったのですが、1980年にサンディエゴから独立した市になりました。つまり、サンディエゴの東隣の町です。ここ(City of Poway)にホームページがあります。
以前このブログでもお話しましたが、うちの息子がハイスクールのマーチングバンドに所属していて、毎年、Powayパレードに参加しています。
今日は、カメラ片手に見物。普段あまり写真を撮らないのですが、今日はこのブログのために何枚か写真を撮ってみました。主題もへったくれもありませんが、面白そうなものを撮りました。お楽しみください。
パレードの先頭は常にミリタリーバンドです。いすに座っている人たちも必ず起立。
パレードにつき物の消防車。サイレンやクラクションを鳴らしての登場。
馬に乗った兵隊さん?
年代を感じさせる消防車。こんなのも現役です。
フォードマスタングのオープンカーに乗った、ミスXXXのお嬢様方。個人的には、それほど美しいと感動しませんでした(失礼...)。
ノスタルジックカーファンにはよだれモノ。67年製シボレーカマロを先頭に、その後ろは73年製シボレーコルベットかな?
こんな超クラッシックな車もパレードします。
Poway Spirit!
カブスカウト。Pack617と言うのは、617分団と言うことでしょうか。20人程度のグループがパレードします。
馬に乗ったお姫様。ミスなんとか。何だったっけな...。
トラクター族。ディーゼルエンジンをガラガラ言わせながら行進します。
これも、よだれモノ。57年製フォードサンダーバード。ここまできれいだと、3万ドルは軽くいくでしょうね。
おなじみ、足こぎ暴走族。いや、小型のガソリンエンジンを積んでいるのですが、まるで小さな子が乗る足こぎ自動車みたいですよね。どこのパレードにも必ず現れる老人会(?)の方々です。この車でパフパフクラクションを鳴らしながら、道路を走り回ります
これぞ、アメリカかな。サンディエゴ市の隣、Carlsbad市のミスカールズバッド。
これもサンディエゴ市の隣のVista市のミスビスタたち。
最後にまたよだれモノを。お尻が切れてしまってますが(汗)。私もいつかは必ずゲットしたいと思っています。65年製フォードマスタング ファーストバック。これもめちゃめちゃきれいでした。4万ドルはいくでしょう。
と言うことでPowayパレード報告でした。
9・11を振り返る – その2
えっと...
何書いてたんだっけな...
あ、そうそう、そうでした。9月11日、テロアタックがあった後に、子供を学校に落として、会社に向かったのでした。
その当時働いていた会社は、うちから、30キロばかり離れたところにあって、2本のフリーウェーを乗り継いで、40分ほどかけて通っていました。
その通勤途中、気のせいだったかもしれませんが、その日は、なぜかフリーウェーの交通量が普段より少ないと感じました。
「多分、すべての米国民が、ありえないほどの衝撃を受けて落ち込んでいるんだろう」と思うほどです。
今でも忘れもしません。対向車線、数百メートル先から、フルサイズの白のピックアップトラック、メーカはシボレー、車種はシルバラード、が、たたみ一畳ほどの大きさの大きなアメリカ国旗を荷台にくくりつけて、ガンガンとこちらに向かって走ってくるではありませんか。
思わず胸がジンとして、目頭が熱くなりました。
「落ち込んでいるだけでは、何も始まらないってことだ。」
通勤ラッシュに全く巻き込まれずに、いつもより短時間で勤め先に到着。
会社に入ると、皆とにかく暗い。衝撃が大きすぎて、皆落ち込んでいるのがよく分かりました。
皆、現場で何が起こっているのか、一刻一秒でも早く知りたいと言う気持ちなのでしょう。誰かが、家からポータブルテレビを持ってきて、会議室に設置。ベンチャー企業でしたから、従業員数もそれほど多くないので、会社のほとんどの人間が会議室の中でニュースに釘付け。
いつもなら毎週火曜日の午前中には、ミーティングがあるのですが、この日は、誰もミーティングに出ようとしませんでした。いや、ミーティング主催者であるはずのマネージャ連中まで、会議室の中でテレビを見ていたのです。
その日1日、皆ほとんど仕事と言えるほどの仕事をせずに帰宅したようです。私自身も、あの、ワールドトレードセンターの2棟が、煙と炎とともに、崩れ落ちる光景が目に焼きついて離れませんでした。
「ここまでやるか、普通...?」
「目には目を、歯には歯をって言うけど、矛先が違わないか?」
「ペンタゴンは分かるけど(失礼!)、なぜワールドセンターを攻撃して、何千人もの一般市民を殺す必要があるのか?」
などなど、アメリカ国民ではない私でさえも怒りがどんどんこみ上げてきます。
その夜、家族と夕食を取りながら、人間の命の尊さを話し合いました。
その翌日、いつものようにフリーウェーを通って会社に出勤。驚いたことに、アメリカの国旗を付けた車がたくさんはしっているではありませんか。それに...車にペンキで国旗を書いている車もいます。
会社に着くや否や、受付に座っているおばちゃんが、「これ、車に貼り付けてね」とアメリカ国旗のシールをくれました。
また、国内各地では、献血運動が始まりました。サンディエゴでも、いたるところで献血運動が始まりましたし、どこからともなくたくさんの人が集まってきて、ボランティアとして、ワールドトレードセンターに向けて出発。サンディエゴの消防士たちもニューヨークに向けて出発。
「昨日、あれほど落ち込んでいたアメリカ国民が立ち直り始めている...」
以前、「サンディエゴ山火事」でも書いたのですが、アメリカ人と言うのは、何か大変なことが起こると、恐ろしいほどのスピードで一致団結して、困った人を助けるのです。もちろん、そうでない人もいますけどね。
一般市民がお金を持ち寄って、食料、寝具などなど、あっと言う間に揃ってしまいます。ボランティア精神が旺盛と言うのでしょうか。あるいは、小さいころからそのような教育を受けているからでしょうか。とにかくすごい。
9・11...
私の人生で最も大きな出来事の一つです。
9・11を振り返る – その1
今日は、9・11テロが起きてから7年。もうそんなにも経つのか...と言う感じです。
あちこちで追悼式典が行われています。
現場のワールドトレードセンター跡地では、テロの犠牲者2751人の名前が読み上げられます。犠牲者ってもっといたような...。
........
2001年9月11日、東海岸時間午前8時46分、サンディエゴ時間午前5時46分、ボストンのローガン空港をロサンジェルスに向けて飛び立ったアメリカン航空11便がワールドトレードセンターのノースタワーに突っ込みました。
そして、その約15分後の東海岸時間午前9時3分、サンディエゴ時間午前6時3分、同じくボストンのローガン空港をサンフランシスコに向けて飛び立ったユナイテッド航空175便がワールドトレードセンターのサウスタワーに突っ込みました。
さらに、その約30分後の東海岸時間午前9時36分、サンディエゴ時間午前6時36分、ワシントンデュエル空港をロサンジェルスに向けて飛び立ったアメリカン航空77便がバージニアにあるペンタゴンの西側に突っ込みました。
ご存知のように、この事件は世界中を震撼させました。
朝、いつものように6時半に起きて、寝室からキッチンに降りてきた私に、家内が興奮した様子を見せ、「とんでもないことがおこってる」とテレビを指しました。なんと、ワールドトレードセンターから煙が吹き出ているではありませんか。
私「なんじゃこりゃ?映画見てるみたいだ」
その場で起こっている事実を理解するのに、まだ起きて間もない私の脳はかなりの時間を必要としていました。
と...テレビを見ていた我々の前に、突然、臨時速報...「ペンタゴンにまたも飛行機が突っ込む!」。
Oh My God!!!
我々は放心状態...。何か話さなければと思うも、気持ちが動転して言葉にならず。
私「これは...テロ...だな...」
家内「うん...」
9月11日は火曜日。平日なので会社に行かなければなりません。いつものようにそそくさと会社、学校に行く準備をして、家を出ました。
つづく...
このビデオは衝撃的です。